网站首页 (Homepage)                                        欢   迎   访   问  谢  国  芳 (Roy  Xie) 的  个  人  主  页                                        返回 (Return)
Welcome to Roy Xie's Homepage




                       ——  外语解密学习法 逆读法(Reverse Reading Method)   解读法(Decode-Reading Method)训练范文 ——                 

解密目标语言:日语                                解密辅助语言:汉语
              Language to be decoded:  Japanese             Auxiliary Language :  Chinese  

  
                   解密文本:     《柠檬》   (日)
梶井基次郎 著      
 

 

檸檬
                                                 ——
梶井基次郎 (Kajii Motojirō)  


        
  只看日语(Japanese Only)                                        日汉对照(Japanese & Chinese)                                     只看汉语(Chinese Only) 

 
普通版(General Version) iPad版(iPad Version)

  


えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた。焦躁しょうそうと言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔ふつかよいがあるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖はいせんカタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪いたたまらずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。
 何故なぜだかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋がのぞいていたりする裏通りが好きであった。雨や風がむしばんでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀どべいが崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵ひまわりがあったりカンナが咲いていたりする。
 時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団ふとんにおいのいい蚊帳かやのりのよくきいた浴衣ゆかた。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。ねがわくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
 私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様しまもようを持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火ねずみはなびというのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心をそそった。
 それからまた、びいどろという色硝子ガラスで鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉なんきんだまが好きになった。またそれをめてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのびいどろの味ほどかすかな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなって落ちれた私によみがえってくるせいだろうか、まったくあの味にはかすかなさわやかななんとなく詩美と言ったような味覚が漂って来る。
 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは言えそんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰めるためには贅沢ぜいたくということが必要であった。二銭や三銭のもの――と言って贅沢なもの。美しいもの――と言って無気力な私の触角にむしろびて来るもの。――そう言ったものが自然私を慰めるのだ。
 生活がまだむしばまれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落しゃれた切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色ひすいいろ香水壜こうすいびん煙管きせる、小刀、石鹸せっけん煙草たばこ。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。
 ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿を転々として暮らしていたのだが――友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨さまよい出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ちまったり、乾物屋の乾蝦ほしえび棒鱈ぼうだら湯葉ゆばを眺めたり、とうとう私は二条の方へ寺町をさがり、そこの果物屋で足をめた。ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗うるしぬりの板だったように思える。何か華やかな美しい音楽の快速調アッレグロの流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムにり固まったというふうに果物は並んでいる。青物もやはり奥へゆけばゆくほどうず高く積まれている。――実際あそこの人参葉にんじんばの美しさなどは素晴すばらしかった。それから水にけてある豆だとか慈姑くわいだとか。
 またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通はいったいににぎやかな通りで――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通にある家にもかかわらず暗かったのが瞭然はっきりしない。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。もう一つはその家の打ち出したひさしなのだが、その廂が眼深まぶかに冠った帽子の廂のように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、廂の上はこれも真暗なのだ。そう周囲が真暗なため、店頭にけられた幾つもの電燈が驟雨しゅううのように浴びせかける絢爛けんらんは、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒らせんぼうをきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋かぎやの二階の硝子ガラス窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でもまれだった。
 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬れもんが出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあのたけの詰まった紡錘形の恰好かっこうも。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらかゆるんで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗しつこかった憂鬱が、そんなものの一顆いっかで紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
 その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖はいせんを悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼だれかれに私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱いせいだったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。
 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていってはいでみた。それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻をつ」という言葉がれぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。……
 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。
 私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、美的装束をして街を濶歩かっぽ[#「濶歩」は底本では「※[#「さんずい+闊」]歩」]した詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映をはかったり、またこんなことを思ったり、
 ――つまりはこの重さなんだな。――
 その重さこそつねづね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心かいぎゃくしんからそんな馬鹿げたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。
 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。
「今日はひとつ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。
 しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。香水の壜にも煙管きせるにも私の心はのしかかってはゆかなかった。憂鬱が立てめて来る、私は歩き廻った疲労が出て来たのだと思った。私は画本の棚の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえ常に増して力が要るな! と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、克明にはぐってゆく気持はさらに湧いて来ない。しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。それも同じことだ。それでいて一度バラバラとやってみなくては気が済まないのだ。それ以上はたまらなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだったアングルの橙色だいだいろの重い本までなおいっそうのえがたさのために置いてしまった。――なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。
 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に眼をさらし終わって後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前には好んで味わっていたものであった。……
「あ、そうだそうだ」その時私はたもとの中の檸檬れもんを憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。「そうだ」
 私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、またあわただしく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。
 やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬れもんを据えつけた。そしてそれは上出来だった。
 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私はほこりっぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
 ――それをそのままにしておいて私は、なにわぬ顔をして外へ出る。――
 私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。
 変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ほほえませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉こっぱみじんだろう」
 そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街をいろどっている京極を下って行った。

 

 

      一种无以名状的不祥之兆,始终压著我的心头。不知该形容其为焦躁,或是嫌恶……就跟喝酒后会伴随著宿醉这个道理一样,每天喝酒的话,宿醉那个东西迟早会来拜访。而,现在,正是那个东西来访的时候。这真是有点难耐。不是因为我得了肺结核和神经衰弱而难耐。也不是因为我欠了一堆债如芒刺在背般的难耐。难耐的是那个不祥之兆。往昔曾令我陶醉的悠扬音乐,或任何高雅的诗篇,我都已无法忍受。有时专程出门去听留声机,却往往在刚听了二、三小节后,就情不自禁想起身告辞离去。总之,就是有某种感觉让我如坐针毡。因此,我才终日在街上东游西逛。

  不知为何,当时我常常被外表寒酸但美丽的东西所吸引。若是风景,我会选择凋零萧条的街道,即便是街道,与其是冷淡的繁华大道,不如那上空挂满肮脏的晒洗衣服、随地都是不值一文的破烂、不经意一瞟即能望见脏乱房间的后街窄巷,比较有亲切感。

  例如,长年被风雨腐蚀,眼看即将归於尘土的那种街道,不但随处可见崩裂的土墙,更可见倾斜的屋舍……只有植物们气势蓬勃,有时还能碰到令人瞠目结舌的向日葵或美人蕉。

  每当我漫步在这种街道时,有时会尽量让自己陶醉在一种错觉之中……这里不是京都,是离京都有几百里的仙台或长崎,我现在是身在异乡。真的,如果可能的话,我真想逃离京都,到一个谁也不认识我的城镇。

  目的只是图个清静。空旷的旅馆某一隅。乾净的座垫。香味扑鼻的蚊帐与浆得笔挺的浴衣。我真想在这种地方无所事事地躺个一个月左右。所以我会尽量让自己产生我其实不在京都,是在另一个城镇的错觉。

  ……当我的错觉逐渐成真时,我会再於其上尽情挥洒想像的画笔。其实说穿了也没什么大不了的事,只不过是我的错觉与凋零的街道重叠在一起而已。而我,总是在这种状况中,享受著现实中的我迷失於彼方的那种乐趣。

  我还喜欢那个叫烟火的东西。其实不是喜欢烟火本身,而是喜欢那用廉价的画具画出红、紫、黄、青,或各种斑马线条的烟火束。中山寺星、花交战、枯芒草(译注:均是烟火名称)。

  还有一种叫鼠炮的烟火,我都将那些烟火捆成一团团,收藏在盒子里。不知为何,这种不值钱的东西,很令我心动。

  我还喜欢那种在表面锤出鲷鱼或花样凸纹的玻璃弹珠,也喜欢那种有孔玻璃珠(译注:可用线穿起做成项练或戒指)。尤其是用舌头舔著那些玻璃珠时,对我而言是一种无比的享乐。世上有任何东西的味道,比得过玻璃珠那幽邃凉味吗?我记得小时候常偷偷含在嘴里而遭父母责骂,可能是这种儿时的甘美回忆,在我长大后且又穷途潦倒的今日重新浮现之因吧,每当我忆起那个味道,总觉得口里似乎又漂荡著那幽幽的、清爽的、诗情画意的味觉。

  你们应该都知道我身无分文。不过,为了安抚看到金钱而心猿意马时的我,我需要一点奢侈。两分钱或三分钱的东西……但一定是要奢侈的东西。美丽的东西……但那东西得能挑动我那死气沉沉的触角。……这种东西能在无形中安抚我的魂魄。

  在生活尚未被腐蚀之前,我喜欢的地方,例如是丸善(译注:位於京都四条河原町贩卖书籍、文具、杂货的老字号商社名,京都分店现在仍居於原处)。艳红鹅黄的古龙水与生发水。独具风味的雕花玻璃器皿、有著洛可可式雅致浮雕花纹的琥珀色或翡翠色香水瓶。烟管、小刀、香皂、香烟。我曾花了一个小时,就只光看这些小玩意。结果我所谓的奢侈行为,也只不过是买了一枝上等铅笔而已。然而,此处对当时的我而言,已变成一个沉重郁闷的场所。书籍、学生、收银台,在我眼中都像是一群索债鬼。

  某日清晨……当时我过著寄人篱下的日子,从甲友家搬到乙友家,辗转地更换住宿地方……友人出门上课后,剩我孤单一个留在空虚的大气中。於是,我不得不再度徘徊於大街小巷。好像有某种东西在驱赶我似的。所以我一条一条街地逛,逛过刚刚描述的那种后街窄巷,或伫足於糖果店前,或在腌鱼店前眺望著店头的乾虾、乾鳕鱼或豆腐皮。最后我朝寺町南方漫步至二条,伫足在一家鲜果店前。

  在此想介绍一下这家鲜果店,因为此处是我所知范围内,最让我喜欢的店。店头虽不华丽,却是一家最能让人感受到鲜果店固有美感的店。水果被排列在倾斜度相当陡的台架上,记忆中台架好像是涂著黑漆的陈旧木板。色彩丰富且鲜艳欲滴的水果被排列得……好像一首悠美悦耳轻快的音乐,突然被希腊神话三蛇发女怪之一点成化石般,凝固在台架上。越往里走,越可见被堆积如山的青翠蔬菜。实际上那儿的红萝卜真的美仑美奂,水渍的大豆与慈姑也是无话可说。

  那家店最美的时刻是夜晚。寺町大道通常灯火通天……不过感觉上比东京或大阪更晶莹清澈……一到夜晚,所有商店橱窗内的灯光都大量流泻至街上。可是不知为何,唯独那家鲜果店的店头四周,竟昏昏暗暗。鲜果店位於街口,一方紧邻人烟较稀的二条大道,看起来昏暗是理所当然的,但鲜果店邻家是面向寺町大道的,却同样一片昏暗,这点很令人费解。

  不过,若非如此昏暗,我想我也不会因而心动。另一个让我媚惑的是这家店的房檐,那房檐看上去就像是一顶被深深戴在头上的帽檐一样……总之,会让人感到:咦?那家店怎么把帽檐戴得那么低?。而且房檐上又是凄黑一片。

  正因为四周黑压压的,店前装饰的几个灯泡,就更像骤雨般集中照射在水果上,让店内的水果不受周围影向,恣意地展现出其耀眼绚烂的美。当我伫立在裸露的电灯像细长螺旋棒滴溜溜地刺射人们双眼的街道上,观望著这家鲜果店,或从附近镒屋(译注:位於京都寺町二条一家老字号蛋糕店,二楼是咖啡厅)二楼的玻璃窗向外眺望这家鲜果店时,那种能令我沾沾自喜的景致,我想,即便找遍全寺町,恐怕也无可寻求。

  那天,我一反常态在这家店里买了个东西。是这家店平常罕见的柠檬。柠檬当然到处都有,只是在这家虽不破旧却极为平凡的鲜果店,很少看到。我很喜欢那个柠檬。喜欢那宛如从柠檬黄的水彩中挤出又将其凝固的单纯色彩,喜欢那矮矮胖胖似纺锤的形状……因此我才决定买一个。

  然后我到底又走了些什么街道?反正我在街上逛了很长一段时间。在我握著柠檬的时候,我感到那一直积压在我心中的不祥之兆,竟松弛下来。走在街上,我觉得非常幸福。那样执拗的忧郁,竟然会被这么一个小东西所化解……或许,可疑的事物,以似是而非的论点来看,往往竟是真实。话说回来,人的心灵,真是一种不可思议的东西。

  那柠檬的冰冷感触,更是舒适得无可比拟。当时我肺病恶化,时常发烧。更时常为了夸示自己发烧的事而故意和友人握手,结果我的手心最热。可能是手心发热的缘故,当我握住那个柠檬时,顿时感到一股凉意渗透入我的躯体,那是一种快感。

  我好几次将那柠檬拿到鼻尖嗅著它的芳香。那股芳香,可让我在脑海中想像著它的产地加州。汉文课时学过一篇文章"卖柑者之言"(译注:明,刘基),文中有"扑鼻"一词,柠檬的芳香,也让我断断续续忆起这个词。然后当我深深吸进满胸膛的芳香空气时,会感到彷佛有一股温暖的热血朝上奔腾至我罕得做深呼吸的躯体与脸部,让我体内的元气复苏。

  事实上,那单纯的冷感、触觉、嗅觉与视觉,宛如我寻求已久终而获得的宝物般,贴心得令我感到不可思议……这是当时的感觉。

  我兴奋得在街上踏著轻快步伐,甚至满怀骄傲,脑中想像著我是个一身美丽装束昂首阔步在街头的诗人。我将柠檬放在沾污的手巾上、大衣上,鉴赏著柠檬的颜色变化。也恍然大悟:

  ……原来正是这重量……

  原来我寻求已久的东西正是这个重量,不容置疑地,这正是所有真善美的东西换算而成的重量。我狂妄并诙谐地做出这种结论……总之,不管怎样,我很幸福。

  我忘了当时到底走过什么地方,只记得最后伫立在丸善门口。平时避之唯恐不及的丸善,那时我突然感到可以轻松地跨入。

  今天我就进去瞧瞧。於是我傍若无人地进了门。

  可是,不知怎地,原本充满胸怀的幸福感竟逐一遁逃。香水瓶、烟管都已不再能令我心动。忧郁又再度笼罩过来。起初我以为是走得太累的缘故,所以信步到画册架前。当我抽出第一本沉重的画册时,竟感到比平常还费力。不过我还是从书架一本本地抽出来翻阅。此时,我虽然毫无仔细翻阅的心情,却像中了邪似地又抽出另一本。情况还是一样。明知结果会这样,依然忍不住要随手翻翻看。实在看不下时,就随处搁放,连把画册放回原处的精神都丧失了。我反覆著同样的动作。最后抽出平日最锺爱的安格鲁之橙红色封皮大画册,反而更感难耐,只好颓然地又随手乱搁。

  ……这到底是怎么回事。枉然双手疲累。我忧戚地瞪著被我抽出搁成小山般的画册。

  过去这些曾让我浑然忘我的画册,如今到底是怎么了?我凝望著一本本画册的封面,再环顾豪无变化的四周,感到自己与四周隔隔不入。这种感觉,也曾是我的最爱。

  喔,对了。我想起袖兜里的柠檬。如果我将眼前这些画册的色彩,杂乱无章地堆积起来,再用这个柠檬试试的话呢?

  对了,试试吧。

  我胸中再度升起刚才那股轻快的兴奋。我随手堆积著那些画册,再随手捣垮,然后再忙碌地堆积著。不是从书架中抽出新的画册加入,就是在堆积的画册中拿掉不必要的。因此,我构筑的这座奇异幻想城堡,也随之忽红忽绿变幻无穷。

  城堡终於完成了。我一面克制雀跃的心情,一面小心翼翼地将柠檬搁在城堡顶端。这真是个无懈可击的作品。

  我再度眺望著作品。柠檬的色彩,将纷乱不堪的各种颜色悄悄地吸收至钫缍形的体内,更显得鲜艳欲滴。我感到,丸善中满是灰尘的空气,唯独柠檬四周凝聚著一股紧张气息。我伫立在原地观看了一会儿。

  出其不意地,我脑中又闪起一个念头。这个奇妙的企图,也令我自己本身心里扑通一跳。

  ……就将这个作品留在原地,然后若无其事地离开……

  想到此,我突然心痒得慌。要走吗?好吧,走。我豪不犹豫地走出丸善。

  走在街上的我,心痒得情不自禁微笑起来。如果我是一个在丸善书架上埋伏了一颗灿灿然金黄色炸弹的恶汉,而十分钟后,丸善即会以美术架为中心发生一场大爆炸的话,不知多么有趣。

  我热衷追求著这个想像的答案。若果真如此,那令人喘不过气来的丸善一定会粉身碎骨吧。

  然后,我往南走向满街都是电影看板,将街道装饰得奇形怪状的京极。

 

  




网站首页 (Homepage)                                   前页(Previous Page)                                             下页(Next Page)                                     返回 (Return)

 

       分类:             国芳多语对照文库 >> 日语-汉语 >> 梶井基次郎 >> 短篇小说      
    Categories:  Xie's Multilingual Corpus >> Japanese-Chinese >> Kajii Motojirō>> Short Storyl                                                  
    

 

 



                              Copyright © 2001-2012 by Guofang Xie.    All Rights Reserved. 

                   谢国芳(Roy Xie)版权所有  © 2001-2012.   一切权利保留。
浙ICP备11050697号